ミュージックビデオの身体論① 多面的で全体的なイメージ
「身体」に注目してMVを見ること。それは第一に、楽曲を演奏・歌唱するアーティストの身体や、ダンスする身体が、いかなるかたちで表象されているかを見ることである。
MVが論じられる際には特殊な視覚効果や演出に注目が集まりがちだが、それ以上に、視聴者の「アーティストが歌う姿を見たい」「踊る姿を見たい」という欲望が、MVの莫大な再生回数を支えていることは疑い得ない。
ミュージックビデオの身体論 佐々木友輔
https://note.com/sasakiyusuke/n/n8f1db8120d27?magazine_key=m8d95f6c32fc7
身体は、映像というテクノロジーと結びつくことで画面全体へと拡張され、MVと一体化する
フランス文学研究者の下澤和義は、MVがジャンルとしての自律性を獲得するためには「音楽と映像の離接的関係が確保されねばならない」と指摘する(下澤和義「ミュージック・ヴィデオ分析試論」(『アルス・イノヴァーティヴァ——レッシングからミュージック・ヴィデオまで』中央大学人文科学研究所編、中央大学出版部、2008年、pp.176-177)。
これらのことは、自然主義的な絵画に対するキュビズムの多視点的な絵画、あるいはフッサール現象学における「諸現出」と「現出者」の関係になぞらえて考えることができるかもしれない。MVの多種多彩で矢継ぎ早なカットの連なりは、単一の視点から特定の瞬間を記録するのではなく、アーティストの姿を時間的にも空間的にも多面的に描き出していく。エイゼンシュテインが『十月』で古今東西の神々をモンタージュしたように、対象の本質や理念(イデア)を捉えた全体的なイメージを提示しようとするのだ。
キュビスム
New Order - Bizarre Love Triangle (Official Music Video) HD Upgrade(1986)
The Buggles - Video Killed The Radio Star(1980)
BTS『Run』(2015)
ローリング・ストーンズ『Jumpin' Jack Flash』(1968)
デヴィッド・ボウイ『Space Oddity』(1972)
ローリー・アンダーソン『O Superman』(1982)
The Beatles - I Feel Fine(1965)
東京事変『幕ノ内サディスティック』(2012)
セルゲイ・エイゼンシュテイン『十月』(1927)October God and Country
ADORA『Trouble? TRAVEL!』(2022)